小さい頃はいい子ちゃんでした
うちは周りから見ても”きちんと”している家族。
転勤族だったので、私は転校ばかり。 まるでキャプテン翼の岬くんです。
行く先々で父の立場があるから、”ちゃんと”することを強いられ
”いい子”でいることが当たりまえになっていました。
勉強も運動もできて当たりまえ。友達に好かれて当たりまえ。
その枠にハマるのが苦しくて、わざと悪いことをしてみたり、
家のお金を持ち出したりしてみたけど、
苦しさに気づいてもらえるわけでもなく、
寂しさに寄り添ってもらえるわけでもなく、ただしかられるだけ。
小さな手のひらの抵抗は、全くむなしいものでした。

やりたい事をやらせてもらえない。選択肢の無い生活の中で、
いつしか「言っても無駄だ。」と、あきらめる癖がつき、知らず知らずのうちに親の言いなり。
流されるままに生きてきました。
戸籍を10回ペラペラ事件
大学の卒業を控えたある日、
資格の登録に戸籍が必要で役所に行き、事件は起こりました。
私のところ、「養女」になっていたんです。
いやいや、そんなわけないだろうと人の取っちゃったかなと、
紙をペラペラひっくり返して10回ながめても、「養女」の文字は消えない。
次の瞬間、ボロボロと涙が止まりませんでした。
どこから出るんだこんな量。と思うほど泣いて泣いて、どうしていいか分からず、胸にぽっかり穴が空いてすっからかん。
23年間、嘘つかれてたのか。私の人生ってなんだったんだ?
少し大きくなった手のひらの抵抗は、家出をすることでした。
バツはついてもバツじゃない
私、流産に不倫、DVのこれでもか。で実はバツ3です。
初婚は全てが初めてで、ウキウキの毎日。
待望の子供ができて、うれしくて両親に早く見せたくて‥
でも、途中でだめになりました。
私は出来損ないで、母親にもなれない。誰の期待にも応えられない。
目の前の全てが色を無くして、何を食べても味が涙でわからない。全部しょっぱいのです。
通常なら、母体は異物を外に出そうとするから、だめになったら出てくるはずなんです。
でも全くその様子がない。「まだ生きてます!先生、だって出てこないじゃないですか」病院で大声出して、拒否して引き伸ばしました。
生きてるって信じたかった。
母体に影響が出るから、と、何度も何度も説得されて、泣きながら手術しました。
子供を見せてくれと頼んだけど、最後まで見せてもらえませんでした。
この時のショックが大きすぎて、一人目のパートナーと向き合えなくなりました。
本当に彼や親に申し訳なくて、辛くて悲しくて‥
「大丈夫だよ、またチャンスあるって‥。」
誰の慰めの言葉も、身体を通り抜けていきました。
二人目は、レディーファーストが身についている都会の人。
せっかく待望の子供ができたのに、あちこちで女性を追いかけ回しおイタをしまくり、
家庭のことなんておかまいなしです。
悔しかった。情けなかった。「家族をバカにするな!」と何度も怒りが込み上げて来ました。
ワンオペ育児の毎日にも疲れはて、同居人にしか思えなくなり
ただのスキモノだった事に気づいた時には、もう怒りはMAX。
外堀から埋めて、とことん戦い、身ぐるみはがす勢いで突き進みました。
この離婚は、精神的にも体力的にも大ダメージで、「はー。もうなんでこんなのに巻き込まれなくちゃいけないんだ?もうやだー。くそー。」のくりかえし。
勝ちはしても、ぐったり。本当に疲れました。
三人目は、おとなしい音楽好きの田舎の人。
収入的にも安定しているし、おだやかに暮らせるはずだと思っていました。
ところが、結婚して一緒に住み始め1年すぎたあたりから様子がおかしくなり、おかしな事を無理やり通そうとマウントしてくる。
ある日家に帰ると、テレビがメタメタに割れ、破片が飛び散り、壁には穴が空いていました。
信じられなくて。自分の目の前に広がった光景をしばらくぼーっと眺めるしかできない。
「え、これ、なに? どうなってるの?」
何が起きているのか、判断がつかない。
涙も出ないんです。冷静にガラスを拾って掃除をし始める自分がいる。
後で知った事ですが、実は若いころからずっと精神科に通院していたらしく、
一度こうなると、どんどんエスカレートしていき、
刃物を持ち出したり、薬を大量に飲んでみたり、何度も警察ざたになりました。
こういう人(DV)って、どこか優しかったり、情けない姿が垣間見えてかわいそうに思えちゃうんです。「助けなくちゃ。私がなんとかしてあげないと。」
と何度か自問自答しましたが、
「いや、待って。子供はどう思っているんだろう?
そうだこの子を守らなくちゃいけない!」
子供の将来を考えて、はじめて離れる決心がつきました。

ガサツな、おばの言葉がしみた日
祖母が他界した時、養女のモヤモヤが消えず葬儀に出られなかった私に、
不審に思ったおばが連絡を入れてきました。
普段ガサツであまり優しい印象がなかったのですが、うなづきながら話をとことん聞いてくれ、
私の母も子供ができなくてつらかったこと。
悩んだ上の大きな決断だったこと。
「母はあなたが大好きなのに、母もかわいそうだよ。」と、
一緒に泣いてくれました。
そこで初めて自分が、養女と気付かないほど大切に育ててもらった事に気付けたのです。
母も子育てが初めてで、どうして良いか分からず、しかも環境に対応するのに必死だった。

ただ、それだけのことだったんです。
この大きな気付きと感謝は、
与えられた命に向き合って、今を一生懸命楽しむ
「自然体の・ポジティブマインド」の源になりました。
笑顔で自分を生きてほしい!
生活も、手続きも、引っ越しも何度も大変だったけど、
バツ3だけど、「人生はバツじゃないね。」と、今、息子と笑えるのは、
人生どん底にいたあの時、おばが真剣に寄り添ってくれたから。
だからどんな事でも乗り越えられました。
母とも毎日連絡を取り合って、今ではお互いの安否確認が日課です。
おばがいる空に向かって、今日も感謝。
仕事で人と人とをつないでいるうちに、たくさんの人から相談を受けるようになりました。
メンタルトレーナー歴20年。
アナウンス歴25年。
皆さんに背中を押されてこのページを立ち上げました。
「なんだか疲れちゃった。」
「なんとなく嫌になっちゃった。」
そんなあなたに、笑顔で自分の人生を楽しく生きて欲しい。
「前向きの魔術師」が、あなたの呪縛(じゅばく)を解き放つお手伝いをします。
自然体の・ポジティブマインドの第一歩へようこそ。
おめでとうございます!

ここから新しい人生を、あなたも。