プロフィール

小さい頃はいい子ちゃんでした

うちは周りから見ても”きちんと”している家族。

転勤族だったので、私は転校ばかり。 まるでキャプテン翼の岬くんです。

行く先々で父の立場があるから、”ちゃんと”することを強いられ

勉強も運動もできて当たりまえ。友達に好かれて当たりまえ。

その枠にハマるのが苦しくて、わざと悪いことをしてみたり、

家のお金を持ち出したりしてみたけど、

苦しさに気づいてもらえるわけでもなく、

寂しさに寄り添ってもらえるわけでもなく、ただしかられるだけ。

小さな手のひらの抵抗は、全くむなしいものでした。

やりたい事をやらせてもらえない。選択肢の無い生活の中で、

戸籍を10回ペラペラ事件

大学の卒業を控えたある日、

資格の登録に戸籍が必要で役所に行き、事件は起こりました。

いやいや、そんなわけないだろうと人の取っちゃったかなと、

紙をペラペラひっくり返して10回ながめても、「養女」の文字は消えない。

次の瞬間、ボロボロと涙が止まりませんでした。

どこから出るんだこんな量。と思うほど泣いて泣いて、どうしていいか分からず、胸にぽっかり穴が空いてすっからかん。

少し大きくなった手のひらの抵抗は、家出をすることでした。

バツはついてもバツじゃない

初婚は全てが初めてで、ウキウキの毎日。

待望の子供ができて、うれしくて両親に早く見せたくて‥

でも、途中でだめになりました。

私は出来損ないで、母親にもなれない。誰の期待にも応えられない。

目の前の全てが色を無くして、何を食べても味が涙でわからない。全部しょっぱいのです。

通常なら、母体は異物を外に出そうとするから、だめになったら出てくるはずなんです。

でも全くその様子がない。「まだ生きてます!先生、だって出てこないじゃないですか」病院で大声出して、拒否して引き伸ばしました。

母体に影響が出るから、と、何度も何度も説得されて、泣きながら手術しました。

子供を見せてくれと頼んだけど、最後まで見せてもらえませんでした。

この時のショックが大きすぎて、一人目のパートナーと向き合えなくなりました。

本当に彼や親に申し訳なくて、辛くて悲しくて‥

「大丈夫だよ、またチャンスあるって‥。」

誰の慰めの言葉も、身体を通り抜けていきました。

二人目は、レディーファーストが身についている都会の人。

せっかく待望の子供ができたのに、あちこちで女性を追いかけ回しおイタをしまくり、

悔しかった。情けなかった。「家族をバカにするな!」と何度も怒りが込み上げて来ました。

ワンオペ育児の毎日にも疲れはて、同居人にしか思えなくなり

ただのスキモノだった事に気づいた時には、もう怒りはMAX。

外堀から埋めて、とことん戦い、身ぐるみはがす勢いで突き進みました。

この離婚は、精神的にも体力的にも大ダメージで、「はー。もうなんでこんなのに巻き込まれなくちゃいけないんだ?もうやだー。くそー。」のくりかえし。

勝ちはしても、ぐったり。本当に疲れました。

三人目は、おとなしい音楽好きの田舎の人。

収入的にも安定しているし、おだやかに暮らせるはずだと思っていました。

ところが、結婚して一緒に住み始め1年すぎたあたりから様子がおかしくなり、おかしな事を無理やり通そうとマウントしてくる。

ある日家に帰ると、テレビがメタメタに割れ、破片が飛び散り、壁には穴が空いていました。

信じられなくて。自分の目の前に広がった光景をしばらくぼーっと眺めるしかできない。

「え、これ、なに? どうなってるの?」

何が起きているのか、判断がつかない。

涙も出ないんです。冷静にガラスを拾って掃除をし始める自分がいる。

後で知った事ですが、実は若いころからずっと精神科に通院していたらしく、

一度こうなると、どんどんエスカレートしていき、

こういう人(DV)って、どこか優しかったり、情けない姿が垣間見えてかわいそうに思えちゃうんです。「助けなくちゃ。私がなんとかしてあげないと。」

と何度か自問自答しましたが、

「いや、待って。子供はどう思っているんだろう?

そうだこの子を守らなくちゃいけない!」

ガサツな、おばの言葉がしみた日

祖母が他界した時、養女のモヤモヤが消えず葬儀に出られなかった私に、

不審に思ったおばが連絡を入れてきました。

普段ガサツであまり優しい印象がなかったのですが、うなづきながら話をとことん聞いてくれ

私の母も子供ができなくてつらかったこと。

悩んだ上の大きな決断だったこと。

「母はあなたが大好きなのに、母もかわいそうだよ。」と、

一緒に泣いてくれました。

母も子育てが初めてで、どうして良いか分からず、しかも環境に対応するのに必死だった。

ただ、それだけのことだったんです。

与えられた命に向き合って、今を一生懸命楽しむ

笑顔で自分を生きてほしい!

生活も、手続きも、引っ越しも何度も大変だったけど、

母とも毎日連絡を取り合って、今ではお互いの安否確認が日課です。

おばがいる空に向かって、今日も感謝。

仕事で人と人とをつないでいるうちに、たくさんの人から相談を受けるようになりました。

メンタルトレーナー歴20年。

アナウンス歴25年。

皆さんに背中を押されてこのページを立ち上げました。

「なんだか疲れちゃった。」

「なんとなく嫌になっちゃった。」

そんなあなたに、笑顔で自分の人生を楽しく生きて欲しい。

おめでとうございます!

ここから新しい人生を、あなたも。